医療法人庄医院 院長 渡邉亜希子
文芸社・朝日新聞主催 第2回Reライフ文学賞短編部門入賞
私は、生まれ育った岡山で医師として母の診療所を受け継ぎ、高校生の娘と、同じく医師である夫とともに暮らしています。医師になるべく必死に勉強した10代、医師として働くことの緊張感の毎日だった20代、子供を授かって必死に育てた30代、いまさらながら、知識以上に心を持って仕事にあたることが大切だと気付かされた40代を経て、50歳になった私は、日々自分を取り巻く日常の出来事について書き留めて、誰かに伝えたいと思うようになりました。
きっかけは、今から7年前、44歳の時、地元の医師会雑誌の原稿依頼を受けたことでした。女性医師が、持ち回りで、日々の暮らしや仕事、趣味などについて、思いのままに書く「女医通信」というコーナーで、これまで読書感想文くらいしかまともに書いたことがありませんでしたが、あの時の私は「そうだ、書いてみよう」と、半ば衝動的に引き受けたのでした。
そこで誕生した、私の記念すべき処女作の中で、夫婦共働きの我が家では、家事や育児に男女の区別はなく、家計も含めて半分半分にして受け持つというライフスタイルを紹介したのですが、掲載後すぐには反響がなかったものの、数年を経て、面識のない方々から思いがけず、こんな感想をいただきました。
「あの文章、本当に面白かったです、ずっと先生がどんな人だろうと思っていました。」や「あれを読んで、我が家でも主人に積極的に家事をしてもらっています。」と声をかけられたのです。
読者というには恐れ多いですが、自分の書いた文章で、誰かが、何かを感じた瞬間があるということが、書くことへの大きな原動力になりました。
その後は、「私のコロナシリーズ3部作」として、医師としての仕事の全てがコロナとういう新興感染症によって一変したことや、コロナワクチン接種という国家事業に診療所としてどう取り組んでいったか、さらには、コロナ禍の中、生活に楽しみを見出す工夫を紹介するなど、立て続けに地元の医師会雑誌に今度は自らすすんで投稿し、掲載してもらいました。特に最後の作品は、とあるエッにセイコンテストへ応募したことで、毎日、授賞式に出席する自分を夢見ながら過ごしていたものの、結果、佳作に終わり、授賞式にあと一歩及ばなかった現実を12時を過ぎて、すっかり魔法がとけてしまったシンデレラの物語に置き換え、どちらかと言えば真面目な内容に終始していたそれまでと違って、くすっと笑える面白い作品に仕上がりました。そして、このコロナ3部作の掲載で、ついにはファンレターが届いたのです。
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