「あなたの文章は前向きで明るく、人の心を照らす天性のものを感じます。」
この素敵な言葉は、そのファンレターの中の一節です。
50年も生きていると、大概の人生経験を積んでいたように思っていましたが、まだ人生で経験したことのない10の事があるとすれば、ファンレターをもらうことは、間違いなくその中の一つにあたるでしょう。ですが、その一方で中傷の手紙もきっちり届きました。 これまでラブレターももらったことがなかったのに、よもや50歳にしてファンレターから中傷の手紙まで一気にもらうなんて、人生まだまだ何がおこるかわからないと冷静に思ってはみたものの、ことごとく批判的な手紙を読んでいると、さすがに心が傷つきました。ですが、そんな時は私の絶対的な読者である娘がどんと私の前に立ちはだかって、守ってくれました。
「だいたい、きょうび、わざわざ手紙に書いて切手を貼って感想を送ってくれるなんて、よっぽどママの文章を読み込んでないと、面倒でできやしないわ。良い悪いは別にして、それほど、心に響いたってことよ!」
そう言って、中傷の手紙を取り上げると、どこかへさっさと隠してしまいました。おかげで、もう文面も思い出せません。
こうして、紆余曲折がありながらも、自称エッセイストとして走り出した50歳の私の日課は、日々の出来事を思いのままに、そして時には限りなく妄想を膨らませながら書き綴ることから始まります。そうやって書いた文章は前後の脈絡もなければ、繋がりも結論もなく、心の声そのままですが、そんな文章を何度も何度も削ったり肉付けしたりする作業を繰り返していくうちに、ある時、自分でも想像もしなかった結論に辿り着くことがあります。書くことで、頭の中で散乱していたものが、一本の線になって繋がり、終点へと辿り着く瞬間です。
それは、まるで妄想という名の列車に乗って、創造の未来へと続く一本のレールの上を走っている感じです。どこをどう走っているのか、レールはどこまで続いているのかもわかりませんが、途中下車もしつつ、時には思いがけない人々も乗せて、いくつもの分岐点を超えながら進んでいます。そして、いつか、見たこともない終着駅に降り立つ自分を楽しみに、私はこれからも書いて書いて書き綴っていこうと思います。
令和5年10月15日発刊Reライフ文学賞短編集2より転載
注)掲載にあたり文芸社の許諾を得ています
2